2012年7月7日土曜日

曇り空

銀座 Apple store で Mac Book Air 修復の相談。
店先には爽やかな七夕飾りが並ぶ。
銀座はどんどん変わって行く。
あの店もこの店もどんどん消えて行く。
さてどうしようか?
天気予報は曇りのち雨。
雲はまだ高いからスカイツリーに昇ってみよう。
航空写真・・・。
高すぎるんだね、展望台としては。
早々に退散、外は雨。
押上カフェで一服しよう、
チェッ、タバコ持っていなかった。
人通りの絶えた浅草通り。
「おしなりくん」も寝転んだまま。
なんとなく冴えない一日だったが、
バスで荷物を持った中学生に席を譲ったら、
すごく喜んでいた。
礼儀正しくて気持ちのよい男の子たちだった。

2012年7月5日木曜日

浅草寺界隈

打合せの後、浅草寺界隈を一回り。
スカイツリーに客を取られた、と新聞に載っていたが、
相変わらずの賑わいだった。

▼本堂の脇ではほおずき市の準備が始まっていた。
 ▼3.11以降激減していた外国人観光客も元に戻っていた。
 ▼伝法院通りも仲見世も大いに賑わっていた。

スカイツリー効果は墨田区よりも、
浅草で顕著に現れているように感じられた。

新聞記事は浅草のどの辺りを取材したものだったのだろう。
浅草、浅草寺周辺といっても広いからなぁ。

2012年7月4日水曜日

アボカド丼

暑い一日だった。
このくらいで暑いなんて言っちゃいけないよ。
ま、昼間は事務所、夜は谷中で打合せ。
 例によって、カヤバ珈琲の2階で丁々発止。
気が付けば8時を回っているじゃないか。
晩飯をなんにしょうか?
メニューを見ていたB子が「アボカド・サーモン丼」を選んだ。
まてよ、昨夜、A子がアボカド丼にハマっていると言っていた。

程好く熟したアボカドをご飯に載せて、
胡麻をたっぷりかけて、
醤油を少しかけて。

ポイントはアボカドの選び方だという。
A子のアボガド選び能力はプロ級だと自慢していた。

よしっ、「アボカド・サーモン丼」に決めた。
ご飯は少しにしてね。

これが間違いの元で、少ないご飯に具がパラパラ。
食べた気がしなかった。

仕方がないので、根津の広東酒家・楽翠荘で2次会。
夜更けなれば思いっきり食うわけにもいかず。

小皿を取り分けてチビチビと・・・。
ああ、今度、アボカド山盛り丼を作ってみよう。

2012年7月3日火曜日

ある一日

朝から前年度の書類を整理した。
読み返すこともなかった新聞の切り抜き。
スカイツリー周辺に開店した店の情報がいくつもあった。
周辺の地価は上がったが、商売は上がったり。
これから先はどうなるのだろう。

▼昼休み、近所の家の水鉢に小さな蓮の花が咲いていた。
 ▼先週末、近所の旦那さんが亡くなった。
つい先日まで普通に挨拶していたのに・・・。

日曜日に告別式。
その間に空き巣が入った。
昔はこんなことは無かった町なんですがねぇ、
と遠来の息子さんは嘆いていた。
 ▼夕方、六本木7丁目の「中国名采・孫」で夕食。
美味しい。が、中華料理ではない。
和食風の創作料理だった。



向かいの席の男が時々こっちを見る。
連れのA子が美人だからってジロジロ見るなよ。

1時間も経ってから、ん、テレビキャスターのBなのか?
私なんか入ったときから分かっていたわよ、とA子。
まったく女の観察力ってのは・・・。

やっぱりマラドーナ

スペインのサッカーは素晴らしかった。
で、何が?

基本に忠実だった。
サッカーの基本を速く、巧く、正確に実行した。

FCバルセロナやレアル・マドリッドのサッカーと同じだ。
両チームの選手が9人もいたんだから当然だけど。

面白かったが、ちょっと物足りないなぁ。
スーパースターがいなかったもんね。

お口直しにマラドーナのテクニックでも見てください。
巧いとかなんとかいうより、夢があったよね、マラドーナには。

2012年7月2日月曜日

キエフの屈辱

UEFA UURO 2012はスペインがイタリアに4−0で圧勝。
ま、4−0といっても、後半40分までは2ー0だったのだから、
一人少ない中でイタリアも善戦したと言っておこう。

▼前半はスペインが開始早々1点を先行したものの、
緊張の糸が張りつめた素晴らしい戦いだった。

この緊張がいつまで持つのかと見ていると、
徐々にイタリアのパスが緩んできた。

▼そして前半37分、このシーンでイタリアの敗戦を予感した。
スペインが全員で攻め上がっているのに対して、
イタリアは4人だけ。
とにかくスペインの攻守の切り替えは鋭かった。
▼活躍を期待したバロテッリ。
 ▼スペイン守備陣に囲まれて良いところがなかった。
囲まれた原因は状況判断に迷いがあったから。
 ▼終了の笛が鳴るやいなや、グランドを飛び出した。
▼表彰式でも憮然とした態度。
この屈辱をバネに成長してほしい。

新宿の女

「新宿の散歩道」を書いてから色々調べてみた。
この道筋は女子医大から新宿三丁目方面に抜ける近道。
何年間も何も知らずに歩いていた。

西向天神の境内に「新宿の女」の歌碑がある。



なぜここにあるのか調べているうちに、
興味深いことが次々に出てきた。
う〜ん、あまり張り切るとタモリ倶楽部になってしまうなぁ。
少しだけ紹介します。

まず、文化センター通りと新宿四季の道は都電の軌道敷跡だった。
その軌道敷は蟹川・カニ川の流れる窪地を通っていた。
この窪地は大窪と呼ばれ、後に大久保となる。

蟹川の源流は西武新宿駅の真ん中にあった。
その流れは、歌舞伎町の外れを下り・・・。

なるほどそれで健康プラザ前の通りは蛇行しているのか。

ところで、新宿の女の歌碑のいわれですが、
歌碑の裏側に説明板があります。


「新宿の女」歌碑建立奉納
【由来】
昭和44年9月25日「新宿の女」で、
この西向天神より二人の若者が旅立って行き、
石坂まさをと藤圭子の名は時代を刻み、
伝説として語られるようになった。

詳しい話はこちらでどうぞ