2012年5月21日月曜日

たかだか百年

小梅牛島通りの地図づくりは、やっとこさ東京スカイツリー開業に間に合った。
先週中に配布して、評判も良い。

しかし、いろいろ問題もあるので、ただ今、手直しの真っ最中。
位置や名称の訂正、写真の入れ替えなどである。

ここで悩ましい問題が発生している。
谷崎潤一郎の旧宅の位置がハッキリしないのだ。

各種年表によると、谷崎は大正5年から1年ほど、
新小梅町4番地16で新婚生活を送っている。

番地がハッキリしているのだから分かりそうなものなのだが、
当地は関東大震災で焼失し、その後、震災復興区画整理で改造されている。

また、明治43年には北十間川の氾濫にもあっている。
災害続きで正確な地図が残っていないらしい。

山口酒店のご主人が、調べたところによると「墨田模型」の位置になるという。
墨田模型のご家族もすっかりその気になっている。

ところが、墨田模型の向かいにお住まいの長老は全く違うことを言う。
なんったって、この方の家は明治33年に水戸徳川家が、

初めて長屋を分譲したときに、真っ先に移り住んだというのだ。
それまでは水戸藩の「小梅御殿」だったから、新小梅町の住人第一号なのだ。


長老は町の歴史研究家を自称している。
資料も山ほどあるが、祖父と父親からの伝聞が強力な資料になっている。

いろいろな資料が出回っているが、その根拠は何なのか?
とかく伝聞よりも紙の記録に重きを置く傾向がある。

が、長老によると、区が立てている堀辰雄の旧居跡の看板も間違っている。
皆が分からないと言っている谷崎潤一郎の旧居も具体的に示す。

スゴイッ、と思うのだが、谷崎に関しては年代が違う。
堀辰雄の旧居跡についても、近所の人たちの証言とは異なる。

で、谷崎について調べてみると、この辺りで芸者遊びをしていたという。

結婚した女性も、ほれられた芸者さんが身代わりに紹介した妹さんだという。
もしかしたら、長老のいう旧居はそういう時代に逗留した家なのかもしれない。

古いといってもたかだか百年前の話である。

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