小梅牛島通りの地図づくりは、やっとこさ東京スカイツリー開業に間に合った。
先週中に配布して、評判も良い。
しかし、いろいろ問題もあるので、ただ今、手直しの真っ最中。
位置や名称の訂正、写真の入れ替えなどである。
ここで悩ましい問題が発生している。
谷崎潤一郎の旧宅の位置がハッキリしないのだ。
各種年表によると、谷崎は大正5年から1年ほど、
新小梅町4番地16で新婚生活を送っている。
番地がハッキリしているのだから分かりそうなものなのだが、
当地は関東大震災で焼失し、その後、震災復興区画整理で改造されている。
また、明治43年には北十間川の氾濫にもあっている。
災害続きで正確な地図が残っていないらしい。
山口酒店のご主人が、調べたところによると「墨田模型」の位置になるという。
墨田模型のご家族もすっかりその気になっている。
ところが、墨田模型の向かいにお住まいの長老は全く違うことを言う。
なんったって、この方の家は明治33年に水戸徳川家が、
初めて長屋を分譲したときに、真っ先に移り住んだというのだ。
それまでは水戸藩の「小梅御殿」だったから、新小梅町の住人第一号なのだ。
長老は町の歴史研究家を自称している。
資料も山ほどあるが、祖父と父親からの伝聞が強力な資料になっている。
いろいろな資料が出回っているが、その根拠は何なのか?
とかく伝聞よりも紙の記録に重きを置く傾向がある。
が、長老によると、区が立てている堀辰雄の旧居跡の看板も間違っている。
皆が分からないと言っている谷崎潤一郎の旧居も具体的に示す。
スゴイッ、と思うのだが、谷崎に関しては年代が違う。
堀辰雄の旧居跡についても、近所の人たちの証言とは異なる。
で、谷崎について調べてみると、この辺りで芸者遊びをしていたという。
結婚した女性も、ほれられた芸者さんが身代わりに紹介した妹さんだという。
もしかしたら、長老のいう旧居はそういう時代に逗留した家なのかもしれない。
古いといってもたかだか百年前の話である。

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