2012年5月30日水曜日

キラキラの昼休み

ま、本題に入る前に、「カヌー進入禁止」について。

東京スカイツリー開業前のイベントがあった19、20日、カヌーが多数来ていた。
で、20日は警官が係留禁止を盛んにアナウンスしていたそうです。

しかし、なんつ〜んですか、自由な船乗りは警告なんか聞きやしない。
ということで、22日の開業日には進入禁止になったらしい。

我が物顔に遊歩道を占拠する無頼の輩には不快感を覚えたもんね。
自業自得、仕方がないか。

◆さて、大雨のちガハハに蒸し暑い昼食時のことだ。
仕事にケリがついたので、気分も軽くシャッターを切り続けた。

気が急いているときは写真を撮る気にもならん、
ということに気がついた。

ま、ご一緒にキラキラ橘銀座商店街をブラブラしましょ。

▼まずは「原公園」、
大正時代にこの一帯の湿地帯を開発した原さんが寄付したもの。
今も昔も住民の憩いの場所です。
▼商店街の入り口、右が肌着屋さん、左の赤はおでん屋さん。
▼観光客用のお休み処。
イーゼルには「帰ってきたアイドル」のスポンサー募集広告が。
▼格安お菓子屋さんの店先。
日差しが強いので商品を段ボールで覆っている。
▼親子三代でやっている八百屋さん。
葦簀(よしず)の日よけ。
▼たい焼きの「こんこん」、緑はお惣菜弁当の「高橋」
▼有名な「ペロケ」、レポーターも驚く「下町の味」
「ラーメンとケーキのランチ」なんてのが実に粋ですな。

さっきのおでん屋さんの向かいには、
「うどん&コーヒー」が売り物の軽食喫茶もあるでよ。
▼いつも花一杯の交番。
はす向かいの鉢物屋さんが世話を続けて何十年、らしい。
▼朝から賑わっているモツ煮酒場。
今日はたまたま営業していなかったので、中を覗いてみた。
昼休みにはだいたいこんな風にブラブラしております。

2012年5月28日月曜日

カヌー乗り入れ禁止

旧中川に20人ほどの人を乗せた小舟が浮いていた。
そうね、矢切の渡しの渡し船のようなものです。

旧中川は北十間川に通じているので、小舟観光のルートになる。
開業前にも小舟が何艘も接岸していた。

しかし今日の北十間川に船影はない。
京成橋に近い河岸テラスは歩く人も少ない。
うんうんタワー見物に疲れたらここで休むのがいいね。
と、にわか作りの看板が目に入った。
「手漕ぎ船進入禁止」「停船・係留禁止」

開業前には交通規制だけだったのだが。

何があったのかね?

開業してみなければ

開業後初めての週末とあって大変な人出です。
といっても人の流れには大きな偏りがみえる。

浅草から吾妻橋を渡ってくる流れが東武橋付近で合流する。
ここが一番混雑している。
そこから先にある京成橋付近は、閑散としている。
地下鉄の出入り口はあるが、直接東京ソラマチに入ってしまうからだ。

ただ、車の渋滞は凄まじい。
押上通りでは1回の信号で6、7台しか進めない。

◆さて、一般の市街地はどうかというと実に閑散としている。
観光客は浅草から東京スカイツリーまでの最短距離を歩く。
開業前のように周辺の町をブラブラ散策する人はいない。
この写真の突き当たりには、群衆がひしめき合っているのだが。

ただ、人力車にとっては好都合。
車も通らなくなった道を悠々と走っていた。

今は皆の関心が東京スカイツリーだけに集中している。
しばらくこの状態が続くのだろう。

2012年5月25日金曜日

北斎号

下町の電気自動車「HOKUSAI 北斎」が展示されている。

五十畑社長は「小梅牛島通りまちづくり協議会」の主要メンバー。
出来たての「小梅牛島通りお散歩マップ」も置いてある。
 ▲北斎号は新タワーの建設を契機に、
墨田区内の中小企業と早大が協力して開発してきた。
テレビでもちょくちょく紹介されているから、ご存知の方も多いでしょう。
電気自動車でものづくりの町をPR・NHK ONLAIN
 ▲北斎1号、二人乗り。
 ▲北斎2号、フレームは鉄製。

と説明を聞いているところに母娘が立ち寄る。
「写真ください」
隅田川に東京ホタルを流したイベントの写真を買いにきたのだ。
目黒から訪ねてきた娘さんに手渡す。
 ▲北斎3号、フレームをアルミに替えた。
 ▲電動車いす「HOKUSAI mini」
20日の区民祝賀パレードでは、
3台の北斎号とともに五十畑社長がこれに乗って行進した。
当然のことながら「楽で良かった」と社長。

▲と話をしていると、5、6人の若者が賑やかに通りかかる。
皆ダンボール箱を抱えている。
「ナニしてるの?」

「ペットボトルのキャップを集めているんです」
キャップ800個で、ワクチンが1本買えるそうだ。

奥さんが出てきて、集めてあったキャップを渡す。

▲九段下にある外資系製薬会社MSDの新入社員。
自主研修のテーマを「今朝決めて来たんです」と笑う。

こんなに明るくて生き生きした青年たちと出会ったことがない。
入社したての高揚した気分がそうさせているのだろうか?

それとも外資系製薬会社の社風がそうなのだろうか?
大学ではぐうたら青年しか育てられないが、会社は違うということか?

▲五十畑工業はね、皇太子のベビーカーを作ったメーカーなんだよ。
これが電気自動車北斎号、テレビで見たことあるでしょ。

それではと代わる代わる北斎号に乗り込んで記念写真。
「時間があったら町も歩いてください」とお散歩マップを配る。
▲彼らがここを選んだのも新タワーの足下の町だから。
こうして交流ができたのも、目黒のお嬢さんが訪ねてきたのも
みんな新タワーのおかげです。

2012年5月23日水曜日

都会になった

ここはどこでしょう?

中野ブロードウェイ、じゃありません。
昨日からトキメイているソラマチの商店街です。

ソラマチってなんだ?ってか。
東京スカイツリータウンの商業ビルです。

◆混雑は予想していたから驚かない。
驚いたのは品揃えだ。

六本木ヒルズやミッドタウンとは大違い。
いわば下町的なのだ。

◆真っ先に思ったことは、「これじゃ近所の商店街は全滅するな」
商品に手が届くって感じ。

なんたってアナタ、
開業前には「アジの開き」が10枚600円で売られていたというのだ。

◆私的に嬉しいことは、三省堂が入ったこと。
押上はおろか区内に大型書店は無かったからね。

それにユニクロも入った。
これも区内ではじめて(商品限定型はあるけど)。

◆特筆すべきは、東京土産が押上で買えるようになったこと。
東京バナナのスカイツリー版があるんだぜ!

まるで羽田空港のショッピング街が引っ越してきたようだ。

◆まともな食事ができるってことも大きいな。
人が訪ねてきても食事できる店が無かったからね。

帰りにブラッと立ち寄れる場所ができた。
これが一番かな。

2012年5月22日火曜日

天空の街

なんという寒さなんだろう。
おまけに雨と風と雷だなんて。
展望台は雲の中。
観光バスはベルトコンベアとなって、
幸運のチケットを雲上へと運ぶ。
優雅な屋上庭園。
眼下に広がる新しい風景。
見上げていた町を見下ろす。 
窓を叩く雨。
雨に打たれながら点灯を待つ人々。

なにはともあれ、新しい風景の幕開けだ。

2012年5月21日月曜日

たかだか百年

小梅牛島通りの地図づくりは、やっとこさ東京スカイツリー開業に間に合った。
先週中に配布して、評判も良い。

しかし、いろいろ問題もあるので、ただ今、手直しの真っ最中。
位置や名称の訂正、写真の入れ替えなどである。

ここで悩ましい問題が発生している。
谷崎潤一郎の旧宅の位置がハッキリしないのだ。

各種年表によると、谷崎は大正5年から1年ほど、
新小梅町4番地16で新婚生活を送っている。

番地がハッキリしているのだから分かりそうなものなのだが、
当地は関東大震災で焼失し、その後、震災復興区画整理で改造されている。

また、明治43年には北十間川の氾濫にもあっている。
災害続きで正確な地図が残っていないらしい。

山口酒店のご主人が、調べたところによると「墨田模型」の位置になるという。
墨田模型のご家族もすっかりその気になっている。

ところが、墨田模型の向かいにお住まいの長老は全く違うことを言う。
なんったって、この方の家は明治33年に水戸徳川家が、

初めて長屋を分譲したときに、真っ先に移り住んだというのだ。
それまでは水戸藩の「小梅御殿」だったから、新小梅町の住人第一号なのだ。


長老は町の歴史研究家を自称している。
資料も山ほどあるが、祖父と父親からの伝聞が強力な資料になっている。

いろいろな資料が出回っているが、その根拠は何なのか?
とかく伝聞よりも紙の記録に重きを置く傾向がある。

が、長老によると、区が立てている堀辰雄の旧居跡の看板も間違っている。
皆が分からないと言っている谷崎潤一郎の旧居も具体的に示す。

スゴイッ、と思うのだが、谷崎に関しては年代が違う。
堀辰雄の旧居跡についても、近所の人たちの証言とは異なる。

で、谷崎について調べてみると、この辺りで芸者遊びをしていたという。

結婚した女性も、ほれられた芸者さんが身代わりに紹介した妹さんだという。
もしかしたら、長老のいう旧居はそういう時代に逗留した家なのかもしれない。

古いといってもたかだか百年前の話である。

2012年5月20日日曜日

神輿パレード

すみだ観光まちびらき・区民祝賀イベント区民パレードを見物。
区内の神輿11台が浅草通り、押上通り、押上駅前広場と新タワーの周りを練り歩いた。

浅草の三社祭と同日開催なので、担ぎ手が集まるか心配していたが、
参加希望が殺到して捌くのが大変だったそうです。

▲浅草通り・業平橋北側、大横川親水公園に設置された巨大な鏡。
▲押上一丁目町会長による開会挨拶。前列は木遣りの組頭さん。
組頭による唄いとお手を拝借でパレード開始。
▲浅草通り・業平橋。神輿のパレードが出発しました。
▲神輿は11台でしたが、50町会の高張提灯が同行しました。
▲浅草通り、業平橋上の中央分離帯から新タワー方面を撮影。
▲先回りして押上通り京成橋へ。
▲交通規制された押上通り。
▲業平五丁目南町会の高張提灯が到着。
▲業平四丁目南町会の神輿。
▲小梅一丁目町会の神輿。
と、上手く撮れた写真を並べましたが、なんたって現場は大混雑。
それに、パレード中の住民が「ようよう、頑張ってるな」
なんて挨拶してくるので、思うように撮れません。
▲神輿と他の町会の高張提灯の組み合わせ。
金環食並みに珍しい光景です。
▲押上駅前広場に到着。
▲駅前広場を埋め尽くす神輿。
▲終点も間近、東京スカイツリータウン、川沿いの道。
仕事があるのでここで退散。

2012年5月18日金曜日

韓流基礎講座

昔々、ソウルのレストランで海鮮ラーメンを注文した。
出てきたのはアルミの丼に入ったインスタントラーメンだった。

聞けば韓国でラーメンといえばインスタントラーメンなのだとか。
日本と韓国ではあらゆる動作、作法が真逆。

日本では茶碗を持ち上げて食べるが、韓国では置いたまま食べる。
日本女性の正座といえば膝を揃えて座ることだが、
韓国では片膝を立ててアグラをかくこと。

さて、韓国の代表的なインスタントラーメンに「辛ラーメン」がある。
日本でも激辛党に人気がある。

この辛ラーメンの茹で方は、袋に細々と書いてある。
韓国料理店(この店でも辛ラーメンを売っているので)で読んでもらった。
「4分間茹でて、調味料を入れて更に30秒間茹でる」

さてさて、世の中便利になったもので、
正しい辛ラーメンの食べ方がユーチューブに載っている。

メーカーお墨付きの食べ方はコレダッ、というテレビCMらしい。


この文化の隔たりには度肝を抜かれてしまいました。
韓流好きのオバサンたちは、
正しい辛ラーメンの食べ方も勉強されているのでしょうか?

ま、他の食べ方も紹介されていますので、参考にして・・・・。

2012年5月17日木曜日

Once Upon a Time

一応の区切りとして、ご苦労さん会を挙行。
上野公園は伊豆栄・梅川亭。

谷中のまちづくりで活躍しているA女史。
G大で古建築を研究しているBさん。

その奥さんで彫刻家のC女史。
遅々として進まなかった地図作りの助っ人として大奮闘してくれた。

ま、C女史の活躍に対する感謝、慰労の宴です。


黄昏時の上野の森は、重厚な奥行きが感じられていいですね。
と、思うのは、たまにしか行かない私だけ。


他の3人はすぐ隣りのG大で学生生活を送っていたし、
住まいも近くなので感慨はないという。

ま、そんなものか。
何年かぶりに食べた伊豆栄(いずえい)の鰻に満足々々でした。


さて2次会は湯島・黒門町の裏通り。




Once Upon a Time、昔々その昔ってか。
先客にA女史の知り合いが。

彼の話によると、
なんとこの店、立ち退き問題で裁判中なんだと。

相当古いレンガ造り。
昔は酒の貯蔵庫だったという。

家主は大地震で倒壊したら大変だと、立ち退きを求めている。
危険だから立ち退けなんて理屈が通るなら、

古い借家の住民は皆追い出されてしまう、と反発。
どうなるんですかね。

ちなみに、昨年取り壊された築109年木造三階建ての下宿の本郷館。
この取り壊しに際しても立ち退き裁判があって、下宿人側が敗訴しています。


それとは知らず、天井では扇風機がゆったり回っている。
昔々を思い出してしまった。

ベニスの安宿の天井で回っていた扇風機を。
一晩中ギコギコ音を立てて回っていたなぁ、なんてことを。

女主人が皆を二階見物に誘った。
誰もいなくなった客席。

この店の昔物語はいつまで続くのだろうか。