2014年4月29日火曜日

古都の朝霧/ヴェリコ・タルノヴォ

夜中に目が覚めて、ふと外を見ると夜霧がたなびいていた。
夜霧の古城、テーマは良いのですが、ライトアップがキツくて絵にならない。
松永先生にコメントしたりしているうちに、空が白んできた。
空の色も良し。







2014年4月28日月曜日

日本文化を語り合う・ヴェリコ・タルノヴォ



3時間ワゴンバスに揺られてヴェリコに到着。
バスセンターは町外れにあった。




バスで一緒だった美少女に道を尋ねるが、首を傾げてタクシーを指差す。
通りかかった若者3人組に声をかける。行き先が同じだからと一緒に歩くことになった。




途中で出会った新婚さん




ホテルまで約1時間、少女がタクシーを指差したのも無理からぬ話しだった。
しかし、1時間歩いた価値は、
このホテルが古都のまさに中心にあることだった。



ホテルに荷物を置いて、
彼らのお気に入りのレストランで夕食をとった。






それから古城のレーザーショーを見て、




さらに彼らが大好きだという、展望喫茶店にも行った。

ディミタ君は中国語専攻で北京、上海などに来たことかある。


ついでに日本語も勉強していて、漢字も読める。
クリスタ嬢はドイツ語専攻だというが、驚くほど沢山の日本語を知っていた。


そして極真空手の道場に通っていたこともある。
CANON EOS 300Dというカナダ仕様の一眼レフを持ったニコワさんは、ディミタさんと同じくギターリストだという。

という塩梅に、歌舞伎、武士道、その他諸々の日本文化について語り合ったのだが、
11時に解散となった。
見知らぬ土地で、とても楽しい時間を作ってくれた3人の若者に祝福あれ。

2014年4月27日日曜日

さよなら・プロヴディフ

朝、ホテルの周りを散歩した。歩きながら考えた「街の品格とは何か?」
この品格ある美しい街を去るのがとても残念だった。
次の目的地ヴェリコ・タルノヴォ行きのバス停は、地図の端っこに矢印で示されていた。

矢印の先、地図の無い街を、道を聞きながら延々と歩いてたどり着いた。
昨夜のレストランで現金を使い果たした(普通の店ではC/Cが使えない)ので両替しなければバスのチケットも買えない。
しかし、バスセンターの両替所はなかった。おまけに土曜日なので銀行も営業していない。
タクシーで旧市街まで行ってUターンしてきた。

ヴェリコ行きのバスは15時半、「4時間もあるじゃないか」とまたも旧市街に向かって歩き始めた。
しばらく行くと、団地の団らんテーブルで談笑している人たちが呼び止めてくれた。
渡りに船である。ラキヤという日本の焼酎に似た強い酒で「カンパイ」した。

「カンパイ」は繰り返された。私は「柿の種」と「白い恋人」を提供した。好評であった。
カメリア夫人は「白い恋人」にとても感激していた。
そこへ若者が車でやって来て、大音量のカーステレオで「伝統的民族音楽」聞かせてくれた。

良い気持ちになっていると、若者が携帯電話を見ながら「バスの時間だ」という。
切符を確かめると、確かに13:30なのだ、ああ勘違い。若者は車でバス停まで送ってくれた。

こうして、離れたくない街プロヴディフから楽しい気分で旅立つことができた。
さよならプロヴディフ、さよなら団地の皆さん、またいつか会えますように。






2014年4月26日土曜日

プロヴディフ・ホテルの近所


前にB.C.19Cからの歴史のある街と書きましたが、
博物館に行ってみたらなんとB.C.4000年の食器や偶像などの出土品が展示されていました。
ローマ時代の遺跡も街中にあります。
かつて栄華を誇った時代の商人のお屋敷も沢山保存されています。
ホテルは旧市街の中心部にあります。
旧市街は丘になっているのですが、石畳の坂道には閉口しています。
ごつごつした石が乱雑に敷かれていて、まるで沢歩きをしているような感じです。

泊まっているホテルです。
優雅で家族的な雰囲気です。


ホテルに向かう坂道


ホテルの先


登ってきた坂道


少し先の角を曲がるとお屋敷。


お屋敷の先に紀元前3世紀からある城門
城門の上にもお屋敷


1848年にトルコ人によって建てられた建物です。
博物館なのですが、いつ行っても閉まったままでした。


古くて優雅な街です。


当然、街全体が坂道と迷路で、墨田区・京島、寺島あたりの路地の街を変化のある山地に移し替えたような感じです。

プロヴディフで日本の話し

ブルガリアの真ん中にあるプロヴディフPlovdevという街にやって来ました。
紀元前19世紀からの歴史が詰まった街です。
「地球の歩き方」の簡単な地図で宿を探していたら、トルコ人留学生に話しかけられました。
だいたいの方角が分かったので、どんどん進むが標識がゼンゼン読めないから現在位置が分からない。
そこでwifiの使える喫茶店に入ってiPhoneで調べる。やっぱり少し通り過ぎていた。

と、ウエイトレスが「日本の方ですよね」と丁寧な日本語で話しかけて来た。日本に憧れていて、独学で勉強しているそうだ。
「日本にとても行ってみたいです」来なさい、飛行機代ぐらい出してやるよ、とは言わなかったけれど、どうして独学でこんなにきちんと話せるのだろう?

ままよ、とりあえずホテルに行かなければ。と、立ち上がると、他のテーブルの女の子がニコニコ微笑みかけてくるではないか。
なんだの?君たちも日本語話せるの?「少しだけ」日本に3回来たことがあると言う。

Do you know Kazanraku? 火山クラブを知っているか?ってどういう意味?
よくよく聞いてみると、彼女等はカザンラクという街の住民で、そこは世界的なバラ祭りで有名なのだそうです。
彼女たちは民族舞踊のダンサーで、その公演に来日したそうです。





この娘は「地球の歩き方」のカザンラクのバラ祭りのページをさっと開いて、これが私たちです、とパレードの写真を指差す。
「6月第一週にカザンラクに来ないか?」残念ながらそのころはサンチャゴ巡礼の真っ最中だから、来年にしよう。

写真は左からウエイトレスのステラさん、カザンクラのバネサさんとアネリアさん。ポッキーをあげると「ブルガリアにもあるけど、こんなに美味しくない」と好評でした。

2014年4月23日水曜日

市民庭園でうたた寝

気持ちの良い日が続いています。まだ風に冷たさが残っていて、日差しも柔らか。
街中の人がどっと繰り出して来たような賑わいです。
私もベンチでのんびり、老後に相応しい午後でした。










ソフィア・バスセンターで


移動に供えてソフィア・バスセンターで切符を買ってきました。

国内向けの切符売り場ですが、ご覧のとおり小さなブースが裏表で30ほど並んでいます。
英語の表示はまったくありません。
切符の売り子は熟女、老女で、英語はまったく通じません。
ちょっとトラブりましたが、なんとか手に入れました。



2014年4月22日火曜日

ソフィアの散歩道


昨日今日と青空が広がっています。
ホテル、大統領府、国会議事堂広場、アレクサンダル寺院、そしてヴィトシャ通りに戻って昼食でした。
もう博物館、美術館はあらかた見たので、後はのんびり散歩を楽しみながら滞在します。

大統領府前の並木道

 気持ちの良い朝です。

解放者記念像、騎乗した像は各地にありますが、このアレクサンダル3世の像は見事です。
多分、周りの風景のせいなのでしょうが。



アレクサンダル寺院の礼拝は、まるでオペラを見ているようでした。
着飾った聖職者たちが祭壇の上下左右、あるいは赤い絨毯の先まで出て来て祈りを捧げます。
香炉を振る際の鈴の音、漂う香の香り、朗読の声、
聖歌隊のコーラスが五感に訴え、神々しい宇宙を造り出していました。


アレクサンダル寺院、青空に金色の屋根が輝いています。


ロシア皇帝アレクサンダル3世の銅像、
ロシア兵士の霊を祭るアレクサンダル寺院そして国会議事堂。
ブルガリアの近代史を象徴する風景です。


露天の本屋が並ぶ通りを通り過ぎて


ヴィトシャ通りでビールをイッパイ。
折りたたみ式のガラス戸が開放されています。


ヴィトシャ通りは歩行者専用道路です。
一部には路面電車の軌道が残っています。


イタリアレストランでカルボナーラ・スパゲティ。
味は?もちろん日本の方が数段上です。